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更新日:2017年12月4日

「龍田古道」とは??

 龍田道は奈良時代において平城京と河内、難波を結ぶ官道として置かれ、天皇の行幸や遣唐使、遣新羅使が大和に入る玄関口として利用されていた古道という通説ではあるが、道の始まりについては、『日本書紀』の中に推古21年(613)11月に「難波より京に至る大道を置く」とあり、諸説あるものの、これが龍田道のことと云われており、わが国最初の官道であったとも考えられている。道の整備には聖徳太子が関わっていたとも云われており、龍田道から太子道を経て飛鳥の京へと向かうルートが想定され、沿道に古代寺院が建ち並んでいることからも蓋然性が高いといえる。

 奈良時代には、龍田道の河内側(現在の柏原市)では渡来系の人々により智識寺をはじめとする河内六寺や河内国分寺、河内大橋が置かれ、大陸からの使者を迎えるに相応しい大道として利用されていた。亀の瀬を越える箇所については大和川沿いの道のほか、三室山・雁多尾畑(柏原市)を抜ける道など、幾つかのルートが考えられている。奈良時代に編纂された『万葉集』でも多くの歌人がこの龍田道を通った際に多くの歌を残しており、当時の人々の心情的にも重要な地であったことが窺える。また、軍事的にも要衝であったことは、高安城たかやすのき の築城や天武元年(672)の壬申の乱にて戦場となったこと、天武8年(679)11月に龍田山に関を設けたことなどからも見て取れる。

龍田古道PRポスター(左:万葉歌を歩く 右::黄昏時を歩く)

 万葉歌黄昏時

 

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