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更新日:2012年2月24日

万葉歌 巻8-1419

鏡王女(かがみのおほきみ)歌一首もみじ

神奈備の 岩瀬の杜の 喚子鳥(よぶこどり)  

                いたくな鳴きそ 吾が恋まさる

神奈備乃 伊波瀬乃社之 喚子鳥 痛莫鳴 吾戀益

作者 鏡王女(かがみのおほきみ)※注1
時と場所 年代は不明。龍田大社南方の磐瀬の杜(鏡王女は、信貴山の周辺に居住していた事があると云う)
語釈

○〔喚子鳥〕人を呼ぶような鳴き声をする鳥で、カッコウを指す。

○〔いたくな鳴きそ〕いつまでも繰り返し、甚だしく鳴くな、と禁止したもの。

解釈 神奈備の岩瀬の森の喚子鳥よ、あまりひどく鳴かないでおくれ、そんなに鳴いては、私があの人を恋しく思う心が増すばかりだから。
歌の心と背景 磐瀬の杜でしきりと鳴いているカッコウの声は、物(もの)思わしい人は、より思いをそゝられる感がしよう。繊細な思いを線の太い、荒さに表現している。
鏡王女の万葉歌碑

鏡王女の万葉歌碑

 

JR三郷駅から南西へ3分ほど歩いたところに「磐瀬の杜」の碑と鏡王女の「万葉の歌碑」がある。磐瀬の杜は関屋川の下流、大和川に合流する地点にあったが、立野農住地区整理事業の一環として建設省の河川改修工事が行われ、龍田本宮が、磐瀬の杜を現在の地に移転奉斎(ほうさい)した。その記念として、昭和58年4月に歌碑を建立したものである。

 

※注1【鏡王女】(かがみのおほきみ)

天武紀では鏡姫王(かがみのひめわう)、興福寺縁起標式では鏡女王(かがみのおほきみ)、万葉集では鏡王女(かがみのおほきみ)と記されている。王女は、きわめて高い身分で、鏡王を父とし、鏡王女、額田王は姉妹で額田王の姉とも云われているが疑問。ともに天智妃であったが、後に鏡王女は、藤原鎌足の嫡室(ちゃくしつ)となった。最近になって、その墓が舒明天皇の域内にあることから、舒明天皇の肉親なのか或いは宣化天皇の後裔、威奈の鏡公の子か、論議をよんでいる。万葉集に相聞歌四首を残し、万葉集最初の贈答歌人の位置を与えられ、相聞贈答の一つの典型を作り出したといえるようです。興福寺は、鎌足の病気の時、鏡王女の発願で開基された。天武天皇12年(683年)7月5日没。

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生涯学習課 

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