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万葉歌 巻9-1748

ページID:0001662 更新日:2019年2月4日更新 印刷ページ表示

『風の郷・龍田古道PJ』写真提供

吾が行は 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし

さくら2吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尒莫落

作者 高橋虫麻呂※注1
時と場所

年代は確定できないが天平6年(734年)頃。
龍田越えの道中。

語釈
  • 〔龍田彦〕龍田姫とともに風をつかさどる神で、龍田大社の祭神。※注2
解釈 私の旅は七日は越える事はないでしょう。龍田彦の神様よ、決してこの花を風に散らさないで下さい。
歌の心と背景 前の長歌の終りで、「須臾(しましく)は散りな乱れそ」と云ったのを受けて、反歌として詠まれました。龍田に祀られている風の神にそのことを祈った。この反歌によって、長歌も生かされてくる。藤原宇合(うまかひ)一行に付き添った作者が宇合の心境を歌ったものである。

高橋虫麻呂の歌碑の画像
高橋虫麻呂の歌碑

JR三郷駅の南西の交差点の近くに、万葉の歌人高橋虫麻呂の「わが行は 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし」と万葉仮名で書かれた歌碑がある。大阪大学名誉教授 故犬養孝先生の揮毫によるものである。三郷町にも都市化の波が押し寄せてきた昭和47年に「私達の街造りは私達の手で」を合言葉に、204名の土地所有者による土地区画整備組合ができた。市街地の形成と三郷駅の設置が昭和60年10月に完成し、これを記念してこの歌碑が建立された。歌碑の土台中央には、タイムカプセルが埋設されており、100年後の2085年に開掘される。

※注1【高橋虫麻呂】
奈良時代の養老、神亀(じんき)、天平にかけての万葉歌人。歌は万葉集以外には無い。奈良朝初期に宮廷に仕え元正天皇の養老年間717~724年頃は、藤原宇合(ふじはらのうまかひ)の配下として常陸地方にいたらしく『常陸国風土記』の編纂にたずさわったらしい。彼の歌は旅先で歌ったもので、叙事長歌にひいで、伝説的人物を歌った作は特に名高く、万葉集中特異な位置を占め代表的歌人の一人である。私歌集に『高橋虫麻呂の歌集』があるが、すべて彼の作と認められている。

注2【龍田大社】
主祭神は天御柱命(あめのみはらしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)の二神で天地間の大気・生気・気・風力を司る神様で「風神」と云う。創建は延喜式(えんぎしき)によると、第10代崇神天皇の時代に国内で凶作疫病が流行している中で天皇の御夢に「吾が宮を朝日の日向処、夕日の日隠れる処の龍田の立野の小野に吾が宮は定めまつりて云々」との御神託があり、その通りに御宮を造営すると疫病退散し、豊作になった、と云われている。龍田大社の風鎮祭は7月に行われている。天武天皇の頃より五穀豊穣を祈り風災を鎮める国家的行事として始まり、現在も続けられている。


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