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『風の郷・龍田古道PJ』写真提供
龍田山 見つつ越え来し 桜花(さくらばな) 散りか過ぎなむ 我が帰るとに
多都多夜麻 見都々古要許之 佐久良波奈 知利加須疑奈牟 和我可敞流刀尓
作者 | 大伴家持(おほとものやかもち)※注1 |
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時と場所 | 天平勝宝7年(755年)、龍田山を思い出し難波で詠まれた。 |
解釈 | 龍田山で見ながら越えて来た桜の花は、私が帰るときまでにすっかり散ってしまっているだろうなあ。 |
歌の心と背景 | 奈良の京より難波に下る際に見た龍田山の桜を惜しんだ歌。万葉の頃は、龍田山といえば桜、吉野といえば水が連想された。 |
三室山遊歩道の万葉歌碑
JR三郷駅から北西方向に10分程歩いたところに三室山遊歩道がある。三室山遊歩道は龍田大社の神様の降臨地である「御座峰」(ござがみね)や元本宮跡とも云われる「磐座」(いわくら)と龍田大社を結ぶ「神降りの道」(かみくだりのみち)であり、古代に大和と難波を結んだ官道「龍田古道」(たつたこどう)の一つといわれている。その三室山遊歩道の入口上がってすぐの平坦地に、平成28年11月に三郷町制施行50周年を記念して万葉歌碑(揮毫、奈良女子大学名誉教授、坂本信幸先生)が建立された。
※注1【大伴家持】(おほとものやかもち)
奈良時代の万葉歌人。三十六歌仙の一人。越中の守を初め、中央・地方諸官を歴任し、延暦2年(783年)に中納言となる。万葉集中最も多い480余首の歌を残し、その編纂者の一人と考えられている。万葉集最終番歌(4516番歌)は、天平宝字3年(759年)因幡国庁で詠まれたもの。大伴旅人の子で、坂上郎女(いらつめ)は叔母、坂上大嬢(おおいらつめ)は正妻。延暦4年(785年)に没。