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本文
和本で表紙に「延宝七己未年 大和国平群郡南畑村検地帳 八月八日 本多平八郎内 吉岡新左衛門」とあり、本多平八郎(忠国)の家来 吉岡新左衛門が検地奉行であったことが分かる。延宝検地は古検(文禄検地)に対して、「新検」といわれており、近畿地方の天領において延宝5年(1677年)から延宝6年にかけて実施されたもので、検地帳は主として延宝7年に成立している。この延宝検地が、その後明治3年(1870年)まで課税の基礎原簿として用いられる。