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生駒鋼索線、箱根鋼索線に続いて日本で3番目に古く、1922年(大正11年)5月16日に開通し、1983年(昭和58年)8月31日で廃線となった信貴山参詣のための鋼索線の軌道跡で、現在の近鉄信貴山下駅から旧信貴山駅までの全行程1.7kmで運行されていた。1964年(昭和39年)10月までは信貴生駒電鉄株式会社が、以降は近畿日本鉄道株式会社が運行していた。3つの文化財で構成されており、東信貴鋼索線軌道敷、東信貴鋼索線新設橋梁、旧信貴山駅舎となっている。当時は付属設備として信貴山下駅に変電所、信貴山駅に巻上所が存在し、巻上機は開業から廃線まで鋼索線としては珍しい直流モーターを使用して運用していた。軌道敷と橋梁は現在遊歩道の一部として運行当時に近い形態で保存しており、実際に足を踏み入れることができる。信貴山駅の駅舎は現在奈良交通のバスの待合室として転用されており、駅舎内には当時の名残りとして近鉄沿線の案内図が掛けられている。