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鳥坂寺跡(とさかでらあと)
大阪府柏原市高井田(たかいだ)にあった寺院で、孝謙天皇が巡拝した「河内六寺」の一つ。昭和58年(1983年)の発掘調査にて「鳥坂寺」と墨書した10世紀初めの土師器椀が発見されたことで、当地に建てられていた寺院が鳥坂寺であることがほぼ確実となった。創建については、豪族の鳥取氏が氏寺として建立したという説の他、仏教に深く帰依した人々(知識(ちしき))が建立したともいわれている。立地としては、すぐ南西に大和川が面しており、南北に並ぶ河内六寺のうち最も南に位置している。寺院の伽藍は、中門・金堂・講堂が南北に並び、中門と講堂を繋ぐ回廊が設けられていた他、塔に関しては中門・金堂・講堂から南西の大和川を眼下に望む西側尾根の突端部(現在の天湯川田神社境内)で、寺域では最も高い場所に建てられていた。大和川対岸には、片山廃寺があり、鳥坂寺の塔と片山廃寺の塔は大和川を挟んで対を成しているように見える。このことは、大和川を遡上してきた舟からの視覚的効果を意識した配置と考えられている。
鳥坂寺の立地と伽藍配置(鳥坂寺跡発掘報調査報告書 2011 柏原市教育委員会 に加筆)
鳥坂寺跡出土の土師器(柏原市教育委員会より写真提供)