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竹原井頓宮跡(たかはらいとんぐうあと)
大阪府柏原市青谷(あおだに)にある遺跡で、奈良時代に天皇が平城宮と難波・河内を行き来する際に使用された離宮。昭和59年(1984年)の発掘調査で、石敷きの遺構や瓦葺礎石建物が発見され、寺院とは異なる配置から竹原井頓宮跡と推定されている。8世紀の歴史書『続日本紀』(しょくにほんき)には、養老元年(717年)2月に元正天皇が和泉宮から平城宮へ還る途中に竹原井頓宮に宿泊したのを初めとし、難波宮を造営後の天平6年(734年)には聖武天皇が難波宮から平城宮への帰路に2泊していることが記載されている。当地には、聖武天皇の行幸の際に瓦葺建物の離宮が整備されたと考えられており、大和川の対岸には同形式の瓦が出土している河内国分寺跡がある。立地としては、平城宮から難波へのほぼ中間地点で、西には難波への渋川道の他、後の東高野街道や長尾街道への分岐があることから、利便性の高い場所にあたる。また、大和川が蛇行し狭い渓谷を流れる自然景観に加え、周囲には多くの古代寺院が建てられていることから、竹原井頓宮からの眺望は正に天皇の離宮に相応しいものであった。
竹原井頓宮跡(発掘時、柏原市教育委員会より写真提供)
青谷空撮写真(柏原市教育委員会より写真提供)