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三宅寺跡(みやけでらあと)
孝謙天皇が巡拝した「河内六寺」の一つ。『続日本紀』の記載から大里寺の北、河内六寺の最北端にあったと考えられているが、現在のところ発掘調査等で根拠となる遺構は発見されていない。立地としては、生駒山系の西側の麓を南北に通る後の東高野街道が龍田古道と結び付くポイントにあたり、交通の分岐点にあたる。
三宅寺推定地出土軒丸瓦(柏原市教育委員会より写真提供)
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孝謙天皇が巡拝した「河内六寺」の一つ。『続日本紀』の記載から大里寺の北、河内六寺の最北端にあったと考えられているが、現在のところ発掘調査等で根拠となる遺構は発見されていない。立地としては、生駒山系の西側の麓を南北に通る後の東高野街道が龍田古道と結び付くポイントにあたり、交通の分岐点にあたる。
三宅寺推定地出土軒丸瓦(柏原市教育委員会より写真提供)