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智識寺跡(ちしきじあと)
大阪府柏原市太平寺(たいへいじ)にあった寺院で、聖武天皇や孝謙天皇が巡拝した「河内六寺」の一つ。古代の寺院では珍しく、有力氏族の氏寺ではなく、仏教に深く帰依した人々「知識(ちしき)」が私財や労働力を提供し、建立した寺院である。8世紀の歴史書『続日本紀』(しょくにほんき)には、天平12年(740年)2月に聖武天皇が難波宮へ行幸の途中、智識寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)を拝まれ、このことが東大寺大仏の造立の発起となったことが記されている。元々は双塔の薬師寺式伽藍配置の寺院であったと考えられており、東塔の心柱の礎石が石神社(いわじんじゃ)の境内に置かれている。その規模から高さ約50mの五重塔が建てられていたと推定されている。立地としては、すぐ西側に旧の大和川を渡る河内大橋が架けられており、難波に繋がる渋川道から河内大橋を渡ると、正面に智識寺の伽藍が見えたことになる。
智識寺復元模型(柏原市教育委員会より写真提供)
智識寺塔心礎(柏原市教育委員会より写真提供)
智識寺跡にある石神社