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平隆寺跡
平隆寺の名は、中世の法隆寺関係の文献の中に聖徳太子建立寺院四十六箇寺の一つとして挙げられており、別名として施鹿恩寺または平群寺とも言われていた。興福寺関係の文献の中では古代の豪族、平群氏が創建に関係していたという内容もあり、発掘調査では飛鳥時代にまで遡る建物跡が確認されている。古代の平隆寺は、塔跡や金堂基壇から講堂・金堂・塔が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置であったと推定でき、近隣の今池瓦窯・上ノ御所瓦窯・辻ノ垣内瓦窯から瓦が供給されていたと考えられている。現在の平隆寺は融通念仏宗の寺院で、寛永17(1640)年に大坂平野の大念仏寺がこの地に平隆寺道場を興したことに始まる。
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